子どもの育ちに目を向けて

子どもの育ちに目を向けて

 

ある日起きたらお母さんがいなかった

おかあさんどこ?

お父さんに聞いてもこたえない

パンをかじって牛乳を飲んで学校に行った

一日ぼんやりしていて

せんせいに「どうした元気ないな」と言われた

お母さんが帰ってきたかもしれないと思って急いで家に帰った

 

友だちと遊ぶ約束をしていたのをすっかり忘れた

ぼくがボールを持っていくことになっていたのに

お母さんは夜になっても帰ってこなかった

 

お父さんの買って来たお弁当を食べて

入れ物を片付けずにテーブルに置きっぱなしにしたので

お父さんが投げつけるようにゴミ箱に入れた

 

次の日学校に行ったら

友だちが「おはよう」と言っても知らん顔だった

ハッと気が付いてあわてて「きのうごめん」と言ったけど

もう誰もボクに話しかけて来なくなった

 

すっかり仲間はずれになったけど

ボクが悪いからしかたがない

 

朝起きられなくなったので

学校を休むことにした

連絡をしなかったので

せんせいが家にきた

 

給食のパンが入ったビニル袋をぶんぶん回して

散らかった家の玄関で

「こうやって振り回すとパンがうまくなる」とおおまじめに言った

そんなわけないし・・・とボクは笑った

なんでかしらないけど

ボクがへこんでいるのを

せんせいは知っているんだ

 

またあした

せんせいは帰った

パンを食べながら

やっと安心してひとりで泣いた

幸せそうな家族を見ただけで過呼吸になり倒れる

親の離婚でPTSDになった21歳の胸の内

両親が離婚する際、2人の争いに巻き込まれて、一方の親にほとんど会えなくなる子どもは少なくない。現在21歳の男性は、小学5年生のときに両親が別居しその後離婚。親や弟と会えないつらさからPTSDになり、今も心身の不調に苦しんでいる――。

 

「お父さんを見かけたら逃げなさいね」

父に対する母の嫌悪感は強く、父とはほとんど会えなくなっていた。会えたとしても、裁判所内の無機質な一室。そこでの父はまるで別人のようにも見え、落ち着かなかった。

「お父さんを見かけたら逃げなさいね」。母に言われ、ゲーム感覚で逃げ回ったこともあった。

 

「どうすればいいのか分からず心も体も固まった」

しかし次第に父との生活を思い出し、不安に襲われることが増えていった。母には「父に会いたい」と言うことはできなかった。

中学に入学後、気づけば不登校になっていた。

 

別離から2年後、調停で面会交流に関する合意がなされ、父と会うことができた。それをきっかけに、自らの意思で千葉に戻ることにした。

 

だが、今度は母が弟を連れて住所を変え、どこにいるのか分からなくなってしまった。母側の弁護士の妨害で、弟には連絡さえ取れない。月1回という父と弟との面会交流の取り決めも、「子どもが会いたがっていない」などと守られず。

「裁判所に『弟に会いたい』と何度訴えても、全く耳を貸してくれませんでした」。

 

 

成人式

成人の記念

 今までの私になかったものは、「理由」。
どうして自分がここにいるのか、なぜ今ここに生きているのかという「理由」。